
こんにちは、むぎです。
今日は8月6日。
72年前の今日、広島に原子力爆弾が投下され、世界で初めて核兵器が使われた日ですね。
私は数年前まで、「戦争」について「昔そういう出来事があったんだなぁー」ぐらいにしか思っていませんでした。
日本が終戦を迎えてからもうすぐ72年。祖父母から戦争の話を聞く機会もなかった私は、今の平和な日本が当たり前だと思っていました。
そんな私が「戦争」について考えるようになったキッカケがありました。
contents
戦争について考えるようになったキッカケ
①岩手のじいちゃんばあちゃんから戦争体験を聞いたこと
私は祖父母がいなかったので、じいちゃんばあちゃんから戦争体験を聞く機会がありませんでした。しかし両親に聞いてみると、父方のじいちゃんは元陸軍兵、そして母方のおばあちゃんは私のじいちゃんとは再婚で、最初の夫は戦死したそうです。祖父母は皆、亡くなっているので、当時の話を聞くことは出来ません。残念です。
そんな私が「戦争」を考えるキッカケとなったのが、岩手の仮設住宅でじいちゃんばあちゃんから戦争体験について聞いたことです。
- 小学生の時、アメリカのB29がやってきて、必死に校庭や田んぼを逃げ回ったこと
- 釜石の艦砲射撃(釜石艦砲射撃 – Wikipedia)で大きな被害を受けたこと
- 戦争で食べるものがなくて、闇市で米を買ったこと。ヘビとかカエルを食べたこともあったこと
- 飛行機の燃料にするため、松の木を伐採したこと
- 戦争末期、竹槍訓練をしたこと
とか。
信じられますか? たった72年前に起こったことなのに、今の日本では想像できない話ばかりで、かなり衝撃を受けたこと覚えています。
②フランスで、戦争や内戦から逃れて来た方と交流したこと
日本は72年前に終戦を迎え、日本国憲法で「戦争の放棄」を明言しました。しかし世界を見てみると、現在でも戦争や内戦、紛争が続いている又は緊張状態にある地域があります。
例えばお隣、韓国と北朝鮮で起こった朝鮮戦争。4年前に韓国へ行った時に知ったのですが、実は朝鮮戦争は終結しておらず、今現在でも休戦状態なのだそうです。びっくりしました。
私は今フランスに住んでいます。フランスにはたくさんの移民がいます。その移民の中には母国で起こった戦争や内戦から逃れるためにフランスに移住してきた方がいるのです。私はフランスに来てから、そのような境遇の方から話を聞くことが出来、「遠い国で起こっている内戦」を身近に感じることが出来ました。
ピーちゃんと一緒に広島を訪問したときの事
さて、話を戻して広島。
去年の7月、ピーちゃんと2人で広島を訪問しました。
広島駅周辺は多くの外国人観光客でにぎわっていて、ここで72年前に原爆が投下されて焼け野原になったなんて、とても想像できなかったです。
そのためか街の至る所に原爆投下当時の様子の写真が掲げられていましたよ。
2人で原爆ドーム、そして広島平和記念資料館へ行きました。

熱かったでしょうね。苦しかったでしょうね。
どうして戦争なんて起こるのでしょうか。そんな考えても答えの出ないことを考えながら、資料館を巡りました。
戦争なんていいことないですよね。
今現在でも世界では戦争、内戦が起こっていて、多くの人が苦しんでいるんですね。




「広島の原子爆弾から放出された放射線」
被ばくした方を長期間に渡って苦しめる放射線被ばく。放射線を大量に浴びると人体の設計図であるDNAを傷つけてしまうそうです。
こんなこと、2度と起こって欲しくない。
犠牲になられた皆さまが安らかに眠って下さい。
そして戦争で犠牲となられた方々、戦後今の平和な日本を築いた方々に感謝し、このことを決して忘れず、将来私たちに子供が出来た時に伝えていこうと思いました。
フランスのテレビ番組で東京裁判のことが放送されていた



戦後行われた極東国際軍事裁判(東京裁判)で死刑判決を受けた東條英機。
なんと死刑判決を聞いた時に、一礼した(最後の写真)。
1948年12月23日、今上天皇陛下の誕生日に、現在池袋サンシャインシティが建っている場所にあった巣鴨拘置所(巣鴨プリズン)で、東條英機を含む7人の死刑が執行された。
終わり。